七尾市がなぜジャズ?
七尾は衰退の危機だった。しかしジャズが・・・
石川県の中でも能登、その中心部の七尾市は、バブル直前、
その活気は町全体から消え去ろうとしていました。

漁港として重宝されていた七尾湾は、港町へと急速に発展したものの、
1970年代から金沢港の開港によりその取引の場が移り変わり、
1972年をピークに減少を続けました。
また能登有料道路が七尾市から大きく外れて建設されたことで
交通の不便さから見ても金沢と比較するとハンディを持ってしまうことに。
このように次第に衰退しつつあった経済・産業・・・
ついには高齢化が進み、過疎化が深刻に。
能登全体が閉塞感でいっぱいだったにちがいありません。
そんなとき、港町の七尾だからこその何かを・・・
七尾市が地域再生のために「港町であることを生かした」プランが立ち上げられました。
これはいわゆる「ウォーターフロント構想」というもので、
湾岸部に市民や観光客を招き入れられるように整備、賑わいを出していく、
というものです。
それから、このウォーターフロント構想を実現するために、
将来の七尾のモデルとなる都市を探すことにしました。
しかし、実際は人口の多い都市ばかりで、参考にはならなかったのです。
七尾が復活するために、参考にした都市は?
七尾が地元の有名温泉加賀屋の会長である小田氏は、
アメリカのホテルを視察したときに、訪れた産す欄シスコのフィッシャーマンズワーフを
思い出しました。
アメリカなら、七尾市が求めている条件に合う港町が、見つかりそうだ・・・
その適合する町の様子をみんなに見てもらい、納得するために
視察してはどうだろうか・・・
小田氏は国際ビジネスコンサルタントのティム芦田氏とコンタクトをとったそうです。
芦田氏は生まれは日本人、アメリカにわたったのは24歳のときで、
アメリカの国の文化や価値観にあこがれて、アメリカにわたりました。
大学を卒業後、芦田氏は日米両国の役に立つような事業、とこころざし
はじめたのが企業視察のコーディネートでした。
今で言うとコンサルタントのようなものです。
この頃、日本企業が海外視察を計画することが多くなっていて、
ここにちょうどよく小田氏がコンタクトをとったというわkです。
条件は
西海岸でそれほど大きくない港町で、一度栄えてから衰退し、再び発展した都市
と注文し、依頼をしたといいます。
そこで、1986年に実際に西海岸の都市を視察に行ったのです。
サンフランシスコやロサンゼルスといった大都市もあったのですが、
その中でも視察団をひきつけたのは、人口3万人のカリフォルニア州モントレーだったのです。